2025年7月22日火曜日、のらニュースでございます。
「日本人ファースト」に思うこと
また選挙の話かと思うかもしれませんが、この間の参議院議員選挙では、参政党が躍進しました。「日本人ファースト」ということを掲げていて、外国人政策が主力になっていたのが大きな争点になったということがあります。
それに対する反対側の概念として、インクルーシブやダイバーシティという、多様性を重んじる考え方があります。「あらゆる環境の人たちが排除されることのない世の中を作っていきたい」という考え方があり、これは時に対立する話ですよね。
「国籍があって税金を納めている人たちを優先する」という考え方は、もちろん理解できる部分でもあります。ただ日本で暮らしたり、労働してくれている人たちのことを考えると、公共サービスは「日本で頑張っているあらゆる人たちのために行われるべき」という考え方もあります。
「権利」をめぐって、罵詈雑言を投げ合う
これも今回の選挙では少し論点になりましたが、選択的夫婦別姓や同性婚など、さまざまな価値観を持つ人々が苦しむことがないようにする動きがある一方で、権利を拡大することによって日本古来の価値観が揺らぐのではないかと懸念されている方もいらっしゃいます。
対立が特に激しく、お互いに罵詈雑言を投げ合う状態になっているのには、どうなのかと思う部分があります。どちらが先に口汚い攻撃を始めたのかをよく見ると、イタチごっこですし、卵が先か、ニワトリが先かという話になってきます。
これは喧嘩両成敗のようにも感じますが、大きなところで言えば、私はあらゆる人々が住みやすい世の中を作っていく価値観を支持する人間です。
もちろん、何か犯罪を犯しているとか、特定の人々だけが利益を享受しているようなことがあれば、それはあってはならないと思います。みんなが平等に権利を主張し、利益を得られるような世の中にしていきたいという思いがあります。
「常に選別する立場にいる」という前提
その一方で、誰かを排除するということは、極力したくないと思っています。もし排除することがあるとしたら、それは最終手段です。
国が財政的な部分も含めて立ち行かなくなるという場合でも、私は特定の誰かのサービスを狭めるのではなく、個人的には一律でサービスを狭める、いわゆる小さな政府の方向性に持っていく方が良いのではないかと考えています。
その理由は、あらゆる価値観の中で「日本人ファースト」と言うところに、あなた自身が含まれているか、私自身が含まれているかということに繋がってくるわけです。
「排除」という表現は少しきついので、あまり使いたくないのですが、どういう言葉がいいのでしょうかね。自分たちが選別している、優越的な地位にいるということになります。
ただ、「いつか自分がその優越的な地位でなくなるかも」と考えているかが一つのポイントになっていて、場合によっては自分がその中に含まれていないかもしれないという気持ちが浮かぶわけです。
あと人生40〜50年で、どうなるかがわからない
私は心身ともに今のところ何も問題を抱えていませんし、心臓やコレステロールの薬は毎日飲んではいますが、それ以外で困っていることは基本的にはありません。生まれ持って何かしらの障害と共に生活されている方の気持ちがどこまでわかるかというのは正直難しいです。
ただ、まだ30代後半ですので、人生があと40年、50年あると考えると、その間にどういう状態になるかはわからないわけです。そうなったときに自分が、障害とともに歩む可能性もあるということを念頭に置いて生きていかないと、自分がいざそうなったときに「思っていたのとは違う」となりかねません。
私は近眼のため、小学校3年生から眼鏡をかけ続けています。四半世紀以上、眼鏡を外すと、数十センチ先すら、ぼやけて見えないのが現状です。ですので、眼鏡やコンタクトなどの補助器具がないと文字を読むことができません。
自宅のトイレ程度なら、毎日通る道なので、大体の感覚はわかりますが、家を一歩出ることはとても難しいです。
「近眼の人間は排除されるべきだ」とならないか
メガネなしでは移動できないのですが、今の世の中では、メガネが当たり前とされ、健常者として扱われます。ただ、動物的な観点から見ると、メガネがなければすぐに危うい立場に置かれてしまうかもしれないということも現実です。
もし、いろいろな人々に配慮しない未来が進むと、「近眼の人間は排除されるべきだ」という考えが出てくるかもしれません。それでは私は非常に困りますし、交通量の多い町を移動するとなると怖さが増します。これでも「健常者」なのです。
制度的な問題もあるかもしれませんが、メガネは1万円程度あればそこそこ良いものを買える状況です。保険適用外で処方箋が必要な場合があるメガネもあれば、処方箋なしでも作ってくれる格安の店も多いです。私は定期的に眼科に通い、今の眼鏡の度が合っているのか、定期的に確認してもらっています。
このように安価にメガネが手に入って、外に出かけられるのは当たり前になっています。ただ、自分が完全なる健常者だと言い切れないし、自分のような立場も排除される可能性があるという強い危機感を覚えています。
誰しもマイノリティー性を帯びている
「マイノリティー」といえば、分かりやすい属性が注目されがちです。たとえば病名がついた障害を抱える人や、性自認がハッキリしている人については、「その権利は尊重されるべきだ」という論調がありますが、例えば「近眼の人がもっと大切にされるべきだ」という声は、眼鏡が当たり前になっているからあまり盛り上がらないのが現状です。
視力が2.0の方から見れば、近眼の苦労は理解されにくい。つまり、マイノリティーにもさまざまなグラデーションがあり、誰しも何かしらのマイノリティー性を抱えているのです。
それを排除しようとする人たちは、自分が排除される可能性があることを理解すべきです。そのため、流行に流されず、自分の立ち位置をしっかり決めて判断してくれるといいと考える今日この頃です。それではまた次回お会いしましょう。
(以上はコラムニスト・城戸譲が、ポッドキャスト「のらニュース」などで話した内容を、AI文字起こし・要約によってブログ記事化したものです。公開時点で最新情報ではない可能性があるため、その点はご了承ください)