(以下はコラムニスト・城戸譲が、ポッドキャスト「のらニュース」などで話した内容を、AI文字起こし・要約によってブログ記事化したものです。公開時点で最新情報ではない可能性があるため、その点はご了承ください)
2025年5月11日土曜日、のらニュースでございます。
昨日も夜中に収録し、その音声が文字起こしされたものをチェックしてブログとして公開したのが深夜1時30分頃になりました。結局寝たのが2時過ぎという感じです。
何でしょうね。せっかくAI技術で効率化を図ったのに、それにとらわれて自分の生活が不規則になってしまっている現状があります。ただ、おかげさまで少しは軽減されていて、ここ1週間ほどカフェインやコーヒーを飲んでいません。そのおかげで眠りはかなり深く取れるようになりました。
体調としては、お酒をやめて1ヶ月ちょっと経ちますが、ようやく本調子になってきたのかなという感じがしています。
規則正しい「定時配信」をするにはどうしたらいいか
これからは、のらニュースとブログのセットをルーチンとしてしっかりやっていこうと思っています。午前中に収録し、お昼に公開。その後、午後のうちに音声データが文字起こしされるでしょうから、それをもとに夕方から夜にかけてブログを公開します。予約投稿を活用して、その場の状況に左右されずに行う形にしたいと思っておりますが、どこまで続くかわかりませんが。
やはり夜の方がニュースは選びやすい。朝だと前日の話題は少し遅れてしまいますし、前の夜に伝えられたことが、翌朝には状況が変わっていることもあります。そうすると、その変わった情報のほうを正確に把握していないと、誤った内容になってしまうこともあるからです。
ただ、夜中にニュースを見てみると、朝の新聞で状況が大きく変わっていたりするので、やり方次第だと思います。なるべく午前中に、前日からその日の朝にかけてのニュースを見て紹介する形にしようと思います。
かつて存在した「日産荻窪工場」
さて、本日のニュースですが、昨日の夜あたりから出ていたのかもしれませんが、日産自動車が世界で7つの工場を2027年度までに削減する計画案が明らかになり、各社が報じています。


日本国内では、追浜工場(神奈川県横須賀市)と、日産車体の湘南工場の2つを閉鎖する方向で調整しているようです。
複数の関係者の話として報じられていますが、私は車についてあまり詳しくありません。しかし、日産に関しては興味があります。
私が東京の杉並区で生まれて育ち、今も杉並区内に住んでいるのですが、幼少期を過ごしたころには、日産の工場がありました。当時「日産自動車荻窪工場」と呼ばれていましたが、それがなくなったのは、30年近く前だったと思います。
カルロス・ゴーンさんがルノーからやってきて、まさかあんな方だとは誰も思わなかった時代です。誰もゴーンさんがコントラバスのケースに隠れて、レバノンに逃げるとは思っていなかった頃の話です。
経営手腕がしっかりあると評価されていたゴーンさんの話ですが、日産自動車の再建が必要ということで、ゴーン体制のもとで荻窪工場は閉鎖の対象となりました。
レペゼン荻窪のスピリッツが、宇宙に飛び出そうとしている
当時は生活圏内で、小学校も近く、学童クラブにも通っていましたが、その通学路はほとんど日産の工場をぐるっと回るようなルートでした。幼い頃によく記憶に残っている場所です。

その荻窪工場の元々の由来は、戦前にかなり大きかった飛行機製造会社の中島飛行機の工場でした。その後プリンス自動車の工場となり、最終的に日産自動車の工場になったという経緯です。今も敷地の一角に日産自動車のディーラーがあり、バス停の名前も「日産自動車前」とそのままです。ただ、再開発がされて、今は団地と「桃井原っぱ公園」があります。

その工場では自動車の製造だけでなく、宇宙開発も行われていた時期があり、「宇宙開発本部」のようなものが置かれていました。その部門は最終的にIHIに売られ、IHIエアロスペースという会社になりました。現在、和歌山県から飛ぼうとしている「カイロス」という民間ロケットの技術は、IHIエアロスペースが担当しているため、荻窪工場の系譜は今も世の中に生き残っていると感じます。

トヨタだったら、工場跡地を「実験都市」にできるが…
話が少し逸れましたが、今回の追浜工場の閉鎖により、かなりの規模の土地が民間に売却されるか、別の形で実態に即した活用がされていくのではないかと思います。日産が工場閉鎖後にその土地を持ち続けることは考えにくく、資金繰りの問題もあるためです。
もしこれがトヨタであれば、状況が異なります。富士の裾野にある工場跡地で、実験都市のような街づくりを進める計画があるのですが、それはお金が潤沢だからできることです。日産の場合は手放す可能性が高いでしょう。
そうなると、その土地の再開発がどうなるのかが気になります。横須賀の追浜周辺の方々は日産の恩恵を多く受けていたはずで、場合によってはそこで働いている方もいると思います。経済面ももちろん気になりますが、工場跡地が更地になった後に何になるのかは、街づくりの観点からも大変興味深いです。
日産の荻窪工場がなくなり再開発される際、住民説明会が何度か行われ、私も母と一緒に参加しました。確か金曜日の夜で、当時通っていた小学校の体育館でした。普段は昼間しか行かない場所ですが、その時は夜の体育館に入れて、少し緊張した記憶があります。
説明会では、再開発計画のA案、B案、C案といった複数の案が示され、商業施設や防災公園の設置などが検討されていました。杉並区はリベラルな人が多く、商業的な施設をあまり増やすのはどうかという意見もありました。
広大な土地に「新しい街」をつくる意義
その幼少期の記憶は今も残っていて、2年前の杉並区議会議員選挙に私が出た理由のひとつにもなりました。現在、追浜工場ほど新たにまとまった土地を使っての「まちづくり」再開発はほとんどありません。開発可能な場所も限られてきているため、1から街づくりができることは非常にまれです。
追浜周辺の住民にとって、将来が不安であるのは理解できます。ただ日本全体で見たときには、新しい街づくりの形を考えるうえで重要な機会になり得ます。これほどまとまった土地が、今後出てくることはしばらくないでしょう。
荻窪工場跡地に団地ができたことで、私の通っていた小学校の生徒数も増えました。そうした新しい街が生まれ、人が増え、住民自治が進んでいくことに、私は興味を持っています。自分の話は今日はこの辺にしておきます。
それではまた次回です。