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水中で自分を見つける

あれこれ

近所のスポーツジムに通い始めて、もうすぐ1カ月。フリーランスは時間の融通が利きやすいことから、朝な夕な、思いついた時にふらっと行くようにしています。

このごろのお気に入りは、水中ウォーキング。当然ながらプールにスマホは持ち込めず、だからこそ「デジタルデトックス」を強制的に行えるのです。ただひたすら歩き続けるのみ。

(地上の)ウォーキングも大好きでして、10キロを超えたころから(自分は「ウォーカーズハイ」と呼んでいるんですが)雑念がクリアになって、新たなアイデアが振ってくるのがヨイのです。でも、未消化のポッドキャストを聞かなきゃだったり、LINE通知に左右されたり、意外と気ぜわしいんですよね。

その点、水中だったら、そこそこ集中できる。プライベートのことやら、仕事のことやら、頭の片隅にあるアレコレを、とりあえずまな板の上に置いてみる。たとえ解決できないとしても、「懸念と向きあった」ことに意味がある。

そんなこんなで、週2〜3時間ほど、ぱちゃぱちゃ歩いてるんですが、「歩く以外なにもできない」状況に持ち込むと、妙に創作意欲をかき立てられるんですよね。「あとでこんな資料つくろう」とか。でもメモを取るわけでもないので(筆記具の持ち込みはOKのはずだけど)、いつしか忘れてる。それでいいんです。一度思いついたことは、またすぐ浮かんでくるはずだから。

そういう調子で、ちょっとずつ生活習慣に組み込まれつつあるんですが、ふと「アウトプットが足りないな」と感じたんです。受注仕事が増えるなかで、「自分が書きたいこと」ってなんだろうと。そもそも、そんなもん存在するのかな? って、それすらも問い直すレベルで。

やっぱりクライアント仕事だと、取引先のカラーに合わせる必要がある。すると「自分らしさが発揮できているのか」と気になることは多々あって、得てして不満の要因にもなるわけですが、いやちょっと待てよ、そもそもオマエの「自分らしさ」ってなんだよ? いや、「らしさ」があるから、クリエイティブな仕事をさせてもらえてるわけで……みたいな、堂々めぐりの自問自答に突入してしまうのですよね。

斜に構えるのがアイデンティティだった私は、いつも「自分探しは恥ずかしいものだ」と考えがちで。就職活動の時も「自己分析」をかたくなに拒んできた。でも、「自分」を売り込んでナンボのフリーランスになった以上、つべこべ言ってないで、見つめ直すべきなんじゃないか。

そうして出した結論が「ひとまずアウトプットしてみる」。自由に書きたいなどとのたまうなら、まず自由に書いてみろ。毎日続けりゃ、その先になんか見えてくるはずだ。そんな天啓を水中で受けた気がしたので、なんとなく書き出してみるのです。できるところから、少しずつね。

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